ヨーロッパ統合と原子力: EECの誕生
電力を見直したい
先生、EECってなんですか?原子力発電について調べていたら出てきたのですが。
電力の研究家
EECは欧州経済共同体の略だね。原子力発電とは直接の関係はないけど、ヨーロッパの国々が協力して経済を発展させていくための組織だよ。今ではEUって呼ばれているものの元になったものなんだ。
電力を見直したい
EUは知っています!でも、なんで原子力発電について調べていたらEECが出てきたのでしょう?
電力の研究家
それはおそらく、ヨーロッパでは原子力発電についても協力関係があったからだろうね。EECと同時に、原子力の平和利用を目的としたユーラトムという組織も作られたんだ。どちらもヨーロッパを一つにまとめるための取り組みだったんだよ。
EECとは。
昔の西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダの6つの国は、フランスのシューマン外務大臣の提案で、1952年7月にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を作りました。これは、石炭と鉄鋼を6つの国で一緒に管理しようという取り組みでした。その後、1958年1月には、ローマ条約によってヨーロッパ経済共同体が設立されました。これは、当時のアメリカやソ連に対抗できる強い経済圏を作るためのもので、国境のないひとつの大きな市場を作ることを目指していました。そのため、関税を統一したり、資本や労働力の移動を自由化したり、農業政策を共通化したりするなどの取り組みが行われました。さらに、1967年7月1日には、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体とヨーロッパ経済共同体、そしてヨーロッパ原子力共同体の3つが統合され、ヨーロッパ共同体が発足しました。1973年1月1日には、ヨーロッパ自由貿易連合に加盟していたイギリス、アイルランド、デンマークもヨーロッパ共同体に加盟し、ヨーロッパ自由貿易連合はヨーロッパ共同体に統合されました。そして、1993年1月1日には、加盟国12か国でひとつの大きな市場がスタートしました。さらに、1993年11月1日には、ヨーロッパ連合が創設され、ヨーロッパ諸国の一体化が進められています。
ヨーロッパ統合の始まり
第二次世界大戦の終結後、ヨーロッパの国々は二度と戦争の惨禍を繰り返さないという強い決意の下、新たな道を歩み始めました。荒廃からの復興と恒久的な平和の実現に向けて、国家間の協調と統合が模索され、その象徴的な出来事として1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が誕生しました。
これは、当時のフランスの外務大臣であったロベール・シューマンの提唱に基づき実現したもので、「シューマン宣言」として歴史に名を刻んでいます。
この共同体は、当時、戦争の主要な資源となっていた石炭と鉄鋼という重要な産業を共同で管理下に置くことで、加盟国間の経済的な結びつきを強化し、戦争の可能性を根本から断つことを目指していました。
具体的には、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国が参加し、石炭と鉄鋼の関税を撤廃し、共通市場を形成しました。
ECSCの発足は、ヨーロッパ統合に向けた第一歩として非常に重要な意義を持ちました。それは、単なる経済的な統合にとどまらず、長年にわたる対立と不信を乗り越え、ヨーロッパ諸国が共通の目標に向かって協力していくという新たな時代の幕開けを告げるものでした。
項目 | 内容 |
---|---|
背景 | 第二次世界大戦後の欧州における恒久平和と復興への強い意志 |
目的 | 加盟国間の経済的結びつき強化による戦争の回避 |
象徴的な出来事 | 1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)発足(シューマン宣言に基づく) |
ECSCの具体的な内容 | フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国による石炭と鉄鋼の関税撤廃と共通市場形成 |
意義 | ヨーロッパ統合に向けた第一歩(経済統合と国家間協力の促進) |
EECの設立と目的
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)の成功は、ヨーロッパ統合の機運をさらに高める大きな要因となりました。ECSCの設立からわずか数年後の1957年、ローマ条約が締結され、欧州経済共同体(EEC)の設立が決定しました。EECは翌1958年に発足し、ヨーロッパ統合の新たな章を開きました。
EECは、ECSCの対象を石炭と鉄鋼から経済全体に広げ、より広範な協力関係を構築することを目的としていました。これは、ヨーロッパ諸国が経済的に統合することで、戦争の再発を防ぎ、永続的な平和と繁栄を実現するという理念に基づいていました。
EECの具体的な目標としては、まず加盟国間の関税を撤廃し、域外に対しては共通の関税を適用することで、単一市場を形成することが挙げられます。また、人、物、サービス、資本の移動を自由化することも重要な目標でした。さらに、農業政策を共通化するなど、様々な分野で協力関係を深めることが目指されました。EECの設立は、その後のヨーロッパ統合の進展に大きく貢献し、今日の欧州連合(EU)の礎となりました。
項目 | 内容 |
---|---|
設立の背景 | ECSCの成功と、経済統合による平和と繁栄の実現 |
設立年 | 1958年 |
目的 | – ECSCの対象を経済全体に拡大 – 広範な協力関係の構築 – 戦争再発の防止 – 永続的な平和と繁栄の実現 |
具体的な目標 | – 単一市場の形成(関税撤廃、共通関税設定) – 人、物、サービス、資本の移動の自由化 – 農業政策の共通化 – 様々な分野での協力関係強化 |
影響 | – その後のヨーロッパ統合の進展に貢献 – EUの礎となる |
冷戦構造とEEC
第二次世界大戦後、世界はアメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする社会主義陣営の二極に分断され、政治、経済、イデオロギーなどあらゆる面で対立を深めていきました。これが冷戦構造です。ヨーロッパの国々は、この東西両陣営の緊張関係に挟まれ、度重なる戦争で疲弊した経済の立て直しと、将来の安全保障に不安を抱えていました。このような状況下、ヨーロッパ諸国は、東西対立の激化を抑制し、経済的な自立を促すために、新たな枠組みを必要としていました。
1957年、ヨーロッパ経済共同体(EEC)は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国によって設立されました。これは、単なる経済同盟を超えた、政治的な結束を目的とした画期的な試みでした。石炭と鉄鋼の共同管理から始まったこの取り組みは、加盟国間の貿易障壁を撤廃し、関税を統一することで巨大な単一市場を形成しました。同時に、域内の人、モノ、サービス、資本の自由移動を促進することで、経済活動を活性化させ、経済成長を加速させました。EECの成功は、ヨーロッパ統合の礎となり、冷戦後の欧州連合(EU)へと発展していくことになります。
時代背景 | 課題 | 設立 | 目的/活動内容 | 結果 |
---|---|---|---|---|
第二次世界大戦後、冷戦構造 ヨーロッパは東西両陣営の緊張関係、経済復興と安全保障の不安 |
東西対立の抑制、経済的自立 | 1957年 ヨーロッパ経済共同体(EEC) フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国 |
政治的な結束 加盟国間の貿易障壁撤廃、関税統一による単一市場形成 人、モノ、サービス、資本の自由移動 |
経済成長促進、ヨーロッパ統合の礎、EUへと発展 |
統合の進展とEUへ
ヨーロッパ経済共同体(EEC)は、1973年にイギリス、アイルランド、デンマークを新たな仲間として迎え入れ、さらにその規模を拡大しました。その後、1993年には大きな転換点を迎えます。EC加盟国は12カ国となり、人、物、サービス、そして資本が国境を越えて自由に移動できる、単一市場を実現したのです。これはヨーロッパ統合の大きな一歩となりました。さらに同じ年、マーストリヒト条約が締結され、欧州連合(EU)が誕生します。EUは、外交や安全保障、司法、内務など、より幅広い分野で加盟国間の協力を深めていくことを目指しました。21世紀に入ると、EUはさらに拡大を続け、多くの国々が加盟を希望しました。現在では27カ国が加盟する大きな組織へと発展し、国際社会において重要な役割を担っています。
年代 | 出来事 | 詳細 |
---|---|---|
1973年 | EEC拡大 | イギリス、アイルランド、デンマークが加盟 |
1993年 | 単一市場実現 | 人、物、サービス、資本が国境を越えて自由に移動可能に |
1993年 | マーストリヒト条約締結、EU誕生 | 外交、安全保障、司法、内務など幅広い分野で加盟国間の協力を目指す |
21世紀 | EU拡大 | 多くの国が加盟し、27カ国体制へ |