戦略兵器削減への道:START条約とその変遷

戦略兵器削減への道:START条約とその変遷

電力を見直したい

先生、「戦略核兵器を主体とした軍備削減条約」って、原子力発電と何か関係があるんですか?

電力の研究家

いい質問だね!実は、「戦略核兵器を主体とした軍備削減条約」は、原子力発電とは直接の関係はないんだ。これは、アメリカとロシアが核兵器を減らすための条約なんだよ。

電力を見直したい

えー、そうなんですか?でも、なんで原子力発電の資料に書いてあるんですか?

電力の研究家

確かに、紛らわしいよね。原子力発電の技術は、もともと核兵器の開発から生まれたものなんだ。だから、歴史的な背景や国際的な安全保障の観点から、原子力発電と核兵器の条約は切り離せない関係にあるんだよ。

STARTとは。

「START」は、戦略核兵器を減らすための条約です。「戦略兵器削減条約」の英語の頭文字をとって「START」と呼ばれています。1982年からアメリカとソ連が話し合いを始め、1991年7月に「第一次戦略兵器削減条約」(START I)が結ばれました。この条約によって、核兵器の数を減らすことが初めて約束されました。1993年1月には、「第二次戦略兵器削減条約」(START II)が結ばれ、2003年までに核兵器の数を3分の1にすることになりました。アメリカは1996年にこの条約に賛成しましたが、ロシアは賛成しませんでした。そのため、期限を2007年までに延ばすことになりました。しかし、今度はロシアが賛成したのに対し、アメリカが賛成せず、さらにアメリカが2001年にミサイルを迎撃する条約をやめたため、ロシアもSTART IIを実行しないことになりました。1999年からは、「第三次戦略兵器削減条約」(START III)の話し合いも始まりましたが、うまく進みませんでした。そこで、アメリカとロシアは、2002年に「戦略攻撃能力削減に関する条約」(モスクワ条約)を結びました。

冷戦の緊張緩和とSTART I

冷戦の緊張緩和とSTART I

1980年代、世界はアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦という二つの超大国による冷戦の真っただ中にありました。両国は、いつ核戦争が勃発してもおかしくないという、緊迫した状況にありました。このような状況下、膨大な数の核兵器を保有する両国は、互いに不信感を募らせ、軍拡競争を繰り広げていました。しかし、このような状況は、1980年代後半に入ると変化を見せ始めます。ゴルバチョフ書記長率いるソ連が、ペレストロイカやグラスノストといった改革路線を打ち出し、国際社会との協調路線を模索し始めたのです。このような国際情勢の変化を受けて、1982年から、米ソ両国は戦略兵器削減条約(START)の交渉を開始しました。そして、冷戦終結後の1991年、ついに両国は第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印しました。これは、米ソ両国の戦略核弾頭数を、それぞれ6,000発以下に削減するという画期的な内容でした。START Iは、米ソ両国が、核兵器の脅威を減らし、より安全な世界を目指して協力していくという決意を示すものでした。これは、核軍縮に向けた歴史的な一歩として、国際社会から高く評価されました。

年代 国際情勢 米ソ関係 核軍縮に向けた動き
1980年代前半 米ソ冷戦
核戦争の脅威
軍拡競争
不信感
1980年代後半 ソ連の改革路線
国際協調路線
緊張緩和
対話開始
戦略兵器削減条約(START)交渉開始(1982年~)
1991年 冷戦終結 協力関係 第一次戦略兵器削減条約(START I)調印
– 米ソ両国の戦略核弾頭数をそれぞれ6,000発以下に削減

さらなる削減を目指して:START II

さらなる削減を目指して:START II

冷戦終結の象徴として、1991年に戦略兵器削減条約(START I)が締結されました。これは米ソ両大国が保有する戦略核兵器の数を初めて削減する条約であり、画期的な成果として国際社会から高く評価されました。しかし、核軍縮への歩みはそこで止まりませんでした。 START I締結後も、さらなる核兵器削減を求める声が高まり、米ロ両国は交渉を重ねました。
その結果、1993年、START Iをさらに発展させた第二次戦略兵器削減条約(START II)が調印されたのです。 この条約では、2003年までに両国が保有する戦略核弾頭数をSTART Iの約3分の1、具体的には3,000~3,500発に削減することを目標としていました。これは、START Iをはるかに上回る大幅な削減目標であり、実現すれば核軍縮に向けた大きな前進となるはずでした。
しかし、残念ながらSTART IIは当初の期待通りには進展しませんでした。 条約の批准には米ロ両国の議会承認が必要でしたが、ロシア側では国内情勢の不安定化などにより議会承認が遅延しました。また、アメリカによるミサイル防衛計画の推進などもロシア側の反発を招き、両国の関係は冷え込んでいきました。結局、START IIは発効することなく、2002年に失効してしまいました。核軍縮への道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

条約名 締結年 概要 結果
戦略兵器削減条約(START I) 1991年 米ソ両大国が保有する戦略核兵器の数を初めて削減する条約 国際社会から高く評価された
第二次戦略兵器削減条約(START II) 1993年 START Iを発展させ、2003年までに両国の戦略核弾頭数を3,000~3,500発に削減することを目標とした条約 ロシア側の議会承認遅延や米国のミサイル防衛計画に対する反発などにより、発効に至らず2002年に失効

実現しなかったSTART IIと新たな枠組み

実現しなかったSTART IIと新たな枠組み

– 実現しなかったSTART IIと新たな枠組み冷戦終結後、米ソ両国は戦略兵器の削減に向けて大きく前進しました。特に、1993年に調印された戦略兵器削減条約II(START II)は、両国の保有する核弾頭数を大幅に削減することを目的としていました。アメリカはこの条約を批准しましたが、ロシアは批准を見送りました。その後、削減期限を延長する議定書も締結され、START IIの実現に向けて努力が続けられました。しかし、国際情勢の変化や両国間の不信感の高まりが影を落とすようになります。アメリカがミサイル防衛計画を推進したことに対し、ロシアは自国の安全が脅かされると反発しました。最終的に、ロシアはSTART IIの履行を停止することを宣言し、この条約は実現しませんでした。このような状況を踏まえ、両国は新たな枠組みとして戦略攻撃能力削減に関する条約(モスクワ条約)を2002年に締結しました。この条約は、START IIよりも柔軟な目標を設定し、両国の戦略的安定を維持することに重点を置きました。モスクワ条約の締結は、冷戦後の核軍縮の停滞を打破し、新たな段階へと進むための重要な一歩となりました。

条約名 締結年 概要 結果
戦略兵器削減条約II(START II) 1993年 米ソ両国の核弾頭数を大幅に削減することを目的とした条約 ロシアが批准を見送り、最終的に履行を停止したため実現せず
戦略攻撃能力削減に関する条約(モスクワ条約) 2002年 START IIよりも柔軟な目標を設定し、両国の戦略的安定を維持することに重点を置いた条約 冷戦後の核軍縮の停滞を打破し、新たな段階へと進むための重要な一歩となった

START III交渉の停滞

START III交渉の停滞

冷戦終結の象徴として1991年に締結されたモスクワ条約。これにより、米ソ両国は保有する戦略核兵器を大幅に削減することに合意しました。この流れを受け、1999年からは更なる核兵器削減を目指す第三次戦略兵器削減条約(START III)の交渉が開始されました。しかし、期待とは裏腹に交渉は難航し、進展は見られませんでした。
交渉停滞の背景には、米ロ両国の関係悪化が挙げられます。冷戦終結後の蜜月時代は終わりを告げ、両国間には新たな火種が生まれていました。特に、NATOの東方拡大やミサイル防衛システムの配備は、ロシアの安全保障上の脅威と捉えられ、両国の溝を深める要因となりました。
また、核兵器削減に対する考え方の違いも交渉を阻んだ一因です。アメリカは、ロシアが保有する戦術核兵器の削減も求めていたのに対し、ロシアは戦略核兵器のみに焦点を当てるべきだと主張しました。このような意見の相違は、START III交渉を長期化させる要因の一つとなりました。
START III交渉の停滞は、冷戦後の軍縮 efforts が曲がり角を迎えていることを示すものでした。米ロ両国の対立は激化し、核兵器削減に向けた機運は失われつつありました。国際社会は、新たな枠組みでの軍縮 efforts が求められる時代へと突入したのです。

項目 内容
条約名 第三次戦略兵器削減条約(START III)
交渉開始年 1999年
交渉の状況 難航、進展なし
交渉停滞の背景
  • 米ロ関係悪化(NATO東方拡大、ミサイル防衛システム配備)
  • 核兵器削減に対する考え方の違い(アメリカ:戦術核兵器削減要求、ロシア:戦略核兵器のみ)
影響 冷戦後の軍縮 efforts が曲がり角、新たな枠組みでの軍縮 efforts が必要に

START条約の遺産と未来

START条約の遺産と未来

– START条約の遺産と未来冷戦時代、世界はアメリカとソビエト連邦による核軍拡競争の恐怖に震えていました。膨大な数の核兵器が、人類の存続そのものを脅かしていたのです。しかし、このような状況下で希望の光となったのが、戦略兵器削減条約、すなわちSTART条約でした。1991年に締結されたSTART Iは、米ソ両国が保有する戦略核兵器を初めて削減することを義務付けた画期的な条約でした。その後、2002年にはSTART Iをさらに発展させたモスクワ条約が発効し、核兵器の削減は着実に進展していきました。確かに、START IIのように、交渉が難航し、実現に至らなかった条約もあります。しかし、START IIの交渉過程でさえ、核軍縮の重要性を国際社会に再認識させる効果がありました。冷戦終結から30年以上が経過した現在、国際社会は新たな課題に直面しています。大国間の緊張関係の再燃、新たな核保有国の出現、技術の進歩による新たな脅威など、核軍縮の道のりは容易ではありません。しかし、過去の教訓を決して忘れてはなりません。START条約を通じて得られた教訓、すなわち対話と協力こそが、核兵器のない、より安全な世界を実現するための唯一の道なのです。私たちは、多国間主義の枠組みのもと、粘り強い外交努力を続け、未来の世代に平和な世界を引き継いでいかなければなりません。

テーマ 内容
冷戦時代 米ソの核軍拡競争が人類の存続を脅かす
START条約の登場と成果 START I (1991年) により米ソの戦略核兵器の削減が開始
START I を発展させたモスクワ条約 (2002年) により核兵器削減が進展
課題と教訓 START II は実現しなかったが、核軍縮の重要性を再認識
新たな課題 (大国間緊張、新たな核保有国、技術進歩による脅威) に直面
START条約の教訓である対話と協力が重要
未来に向けて 多国間主義と外交努力により、核兵器のない平和な世界の実現を目指す