EEC

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ヨーロッパ統合と原子力: EECの誕生

第二次世界大戦の終結後、ヨーロッパの国々は二度と戦争の惨禍を繰り返さないという強い決意の下、新たな道を歩み始めました。荒廃からの復興と恒久的な平和の実現に向けて、国家間の協調と統合が模索され、その象徴的な出来事として1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が誕生しました。 これは、当時のフランスの外務大臣であったロベール・シューマンの提唱に基づき実現したもので、「シューマン宣言」として歴史に名を刻んでいます。 この共同体は、当時、戦争の主要な資源となっていた石炭と鉄鋼という重要な産業を共同で管理下に置くことで、加盟国間の経済的な結びつきを強化し、戦争の可能性を根本から断つことを目指していました。 具体的には、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国が参加し、石炭と鉄鋼の関税を撤廃し、共通市場を形成しました。 ECSCの発足は、ヨーロッパ統合に向けた第一歩として非常に重要な意義を持ちました。それは、単なる経済的な統合にとどまらず、長年にわたる対立と不信を乗り越え、ヨーロッパ諸国が共通の目標に向かって協力していくという新たな時代の幕開けを告げるものでした。
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欧州自由貿易連合:EU とは異なる経済連携

1957年、ヨーロッパ統合の動きの中で、フランス、イタリア、西ドイツを中心とした6ヶ国によって欧州経済共同体(EEC)が設立されました。これは、単なる経済的な協力関係を超えて、将来的には政治的な統合をも見据えたものでした。しかし、すべてのヨーロッパの国々が、このような踏み込んだ統合を望んでいたわけではありません。 イギリス、オーストリア、デンマーク、ノルウェー、ポルトガル、スウェーデン、スイスの7ヶ国は、EECのような政治的な統合よりも、経済的な自由化を重視し、独自の枠組みを模索することにしました。 こうして1959年、EEC設立のわずか2年後、欧州自由貿易連合(EFTA)が誕生しました。EFTAは、加盟国間における関税や貿易制限を撤廃し、自由貿易を実現することを目的としていました。ただし、EECのような共通域外関税や共通農業政策といった、政治的な統合を強く意識させる政策は採用しませんでした。 EFTAは、あくまでも経済的な結びつきを重視した、より緩やかな協力関係を志向したと言えるでしょう。
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ヨーロッパ統合の礎、欧州経済共同体

第二次世界大戦後、ヨーロッパは荒廃し、東西に分断された冷戦構造の中で、復興と恒久的な平和の構築が喫緊の課題となっていました。このような時代背景の中、フランスのロベール・シューマン外相は、1950年5月9日、歴史的な提案を行いました。それは、フランスと西ドイツの石炭と鉄鋼という、戦争の行方を左右する重要な資源を共通の機関の下に置き、管理することでした。この提案は「シューマン宣言」と呼ばれ、フランスとドイツの宿敵関係に終止符を打ち、ヨーロッパ統合の礎を築く画期的な構想として、各国から歓迎されました。 こうして1952年、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国によって、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足しました。ECSCは、石炭と鉄鋼の自由貿易を実現し、その生産を共同管理することで、加盟国間の経済的な結びつきを強め、戦争の可能性を減らすことを目的としていました。ECSCの成功は、加盟国に更なる統合への期待を抱かせ、1957年、ローマ条約の調印へと繋がりました。 ローマ条約に基づき、1958年、ECSCの加盟6カ国によって、欧州経済共同体(EEC)が発足しました。EECは、単一市場の創設を目指し、段階的に関税を撤廃し、共通の農業政策や貿易政策を実施することを目標としました。これは、単に経済的な統合を進めるだけでなく、政治的な統合を深化させ、ヨーロッパ全体の平和と繁栄を目指すという壮大な理念に基づくものでした。