日本の原子力発電の礎を築いたJPDR

日本の原子力発電の礎を築いたJPDR

電力を見直したい

先生、「JPDR」って聞いたことありますか?原子力発電の用語らしいんですけど、よく分からなくて。

電力の研究家

「JPDR」は、日本の原子力発電の歴史でとても重要なものなんだよ。日本で初めて電気を起こした原子炉なんだ。正式には「動力試験炉」って呼ばれているんだよ。

電力を見直したい

へえー、初めて電気を起こした原子炉なんですね!試験用の原子炉だったんですか?

電力の研究家

そうなんだ。原子力発電所を作るための勉強、実際に動かしてみてわかること、そういうのを調べるために作られたんだよ。それで、そこで得られた技術は、今の原子力発電所にも役立っているんだ。

JPDRとは。

「JPDR」は、日本で初めて電気を起こすために作られた原子炉のことを指す言葉です。正式には「動力試験炉」と呼び、「JPDR」は英語の「Japan Power Demonstration Reactor」の頭文字をとったものです。この原子炉は、水を沸騰させて蒸気を作り、その蒸気でタービンを回して発電する仕組みで、出力は12.5メガワットでした。原子力発電所の建設や運転、管理の経験を積み、実際に動かして発電用原子炉の特性を調べることを目的に作られました。当時の日本原子力研究所(原研)が、アメリカのゼネラルエレクトリック社と1960年8月に建設契約を結び、原研の東海研究所内に建設し、1963年10月から発電を始めました。その後、熱の出力を2倍に増やすため「JPDR-II」への改造計画が進められましたが、うまく動かず、本来の出力が出ないまま1976年3月に運転を終了しました。運転終了後は、将来、商業用の発電炉を解体する技術を開発するための実地試験として使われ、1986年から本体の解体を開始し、1996年3月31日に解体が完了しました。「JPDR」と「JPDR-II」の運転経験から得られた知識は、その後の商業用原子力発電所の建設や運転、そして、多く発生した部品のひび割れの原因究明と対策に大きく貢献しました。

日本の原子力発電の夜明け

日本の原子力発電の夜明け

1963年10月、日本の科学技術史に新たな1ページが刻まれました。茨城県東海村にある日本原子力研究所、現在の日本原子力研究開発機構の一角で、日本初の発電用原子炉「JPDR」が運転を開始したのです。「動力試験炉」を意味する英語名「Japan Power Demonstration Reactor」の頭文字を取ったこの原子炉は、文字通り日本の原子力発電の夜明けを告げる象徴となりました。

JPDRは、イギリスから導入した技術を基に、国内の企業が総力を挙げて建設しました。出力は1万3000キロワットと、当時の火力発電所と比べると小規模でしたが、日本は原子力の平和利用という新たな道を歩み始めたのです。JPDRの運転開始は、単に電力を生み出す以上の意義を持っていました。それは、資源の乏しい日本にとって、エネルギー自給への道を切り開くという大きな夢を象徴していたのです。

JPDRは、その後の日本の原子力発電技術の礎を築きました。運転データや経験は、その後の国産原子炉の開発に活かされ、日本の原子力発電は大きく発展していくことになります。そして、JPDRは1976年にその役割を終え、現在は原子炉解体技術の開発に貢献する施設として、日本の原子力研究の中心的役割を担っています。

項目 内容
原子炉名 JPDR (Japan Power Demonstration Reactor)
所在地 茨城県東海村 日本原子力研究所 (現 日本原子力研究開発機構)
運転開始日 1963年10月
出力 1万3000キロワット
意義
  • 日本初の発電用原子炉
  • 日本の原子力発電の夜明け
  • エネルギー自給への道を切り開く夢を象徴
  • その後の国産原子炉開発の礎
現在 原子炉解体技術の開発に貢献する施設

JPDRの目的と役割

JPDRの目的と役割

日本原子力研究所東海研究所に位置するJPDR(Japan Power Demonstration Reactor)は、我が国における原子力発電の黎明期を支えた重要な試験炉です。1963年に建設されたJPDRは、電気出力12.5MWの沸騰水型原子炉(BWR)として、米国ゼネラルエレクトリック(GE)社の協力のもと、誕生しました。
JPDRの主な目的は、未知の領域であった原子力発電所の建設、運転、保守に関する貴重な経験を積み重ねることでした。当時の日本にとって、原子力発電は全く新しい技術であり、その実現には多くの課題がありました。JPDRは、これらの課題を克服するための実験炉として、設計段階から国内の技術者が積極的に参加し、建設、運転、保守に関するノウハウを習得していきました。
さらに、JPDRは、実際に運転試験を行うことで発電用原子炉の特性を深く理解するという重要な役割も担いました。原子炉の出力調整や負荷追従運転などの試験を通して、原子炉の安全性、信頼性、経済性に関する貴重なデータが収集されました。これらのデータは、その後の日本の原子力発電所の設計、建設、運転に大きく貢献し、今日の原子力技術の礎を築きました。JPDRは1976年に運転を終了しましたが、その役割と功績は、日本の原子力発電の歴史において極めて重要なものとして、今も語り継がれています。

項目 内容
炉名称 JPDR (Japan Power Demonstration Reactor)
所在地 日本原子力研究所 東海研究所
炉型 沸騰水型原子炉 (BWR)
電気出力 12.5 MW
建設年 1963年
協力 米国ゼネラルエレクトリック (GE) 社
主な目的 原子力発電所の建設、運転、保守に関する経験の蓄積
発電用原子炉の特性理解
主な役割 原子力発電所の建設、運転、保守ノウハウの習得

原子炉の安全性、信頼性、経済性に関するデータ収集
運転終了年 1976年

出力増強と予期せぬ困難

出力増強と予期せぬ困難

日本の原子力開発の黎明期を支えた動力試験炉(JPDR)は、その後、熱出力を倍増させる大改造計画「JPDR-II」が進められました。これは、将来の原子力発電所の建設に向けて、より多くの電力供給を可能にする技術を確立するための重要なプロジェクトでした。しかし、計画の実行は順風満帆ではありませんでした。

改造工事の過程で、予期していなかった技術的な問題が次々と発生したのです。これらの問題は、当時の技術力では容易に解決できるものではなく、計画は大幅に遅延することになりました。関係者たちは、問題解決に向けて昼夜を問わず努力を重ねましたが、目標としていた出力の達成は困難を極めました。度重なる試行錯誤も虚しく、1976年3月、JPDR-IIの運転は、当初の計画よりも低い出力のまま終了することになりました。JPDR-IIの経験は、原子力開発における技術的な難しさと、安全確保の重要性を改めて示すこととなりました。

項目 内容
計画名 JPDR-II (動力試験炉の熱出力倍増計画)
目的 将来の原子力発電所建設に向けた技術確立、電力供給能力向上
経過 予期せぬ技術的問題が多発し、計画が大幅に遅延。関係者は問題解決に尽力するも、目標出力達成は困難に。
結果 1976年3月、当初計画より低い出力のまま運転終了。
教訓 原子力開発における技術的困難さと安全確保の重要性を再認識。

解体技術開発への貢献

解体技術開発への貢献

動力試験炉(JPDR)は、我が国初の原子力発電所として、その役割を終えた後も、重要な使命を担っていました。それは、将来の原子力発電利用を見据え、役目を終えた発電所の解体技術開発を推進することでした。JPDRは、そのための貴重な実験場として、新たな段階に入ることになったのです。

1986年から始まった本体の解体作業は、10年後の1996年3月に無事完了しました。この期間、JPDRの解体作業は、実際に稼働していた発電所を対象とした、世界でも先駆的な取り組みとして、国内外から注目を集めました。解体作業では、放射線による作業員の安全確保大量の解体廃棄物の処理建物の解体技術など、多くの課題に直面しました。JPDRの解体作業を通じて、これらの課題を克服するための貴重なデータや経験が蓄積され、技術開発が進められました。

JPDRで得られた成果は、その後の国内における原子力発電所の廃止措置に大きく貢献しています。解体技術の確立は、原子力発電を将来にわたって安全かつ持続可能なエネルギー源として利用していく上で、不可欠な要素です。JPDRは、原子力発電の開発と利用の歴史において、その運転期間だけでなく、解体に至るまで、重要な役割を果たし続けたと言えるでしょう。

項目 内容
役割 将来の原子力発電利用を見据え、役目を終えた発電所の解体技術開発を推進
解体期間 1986年~1996年3月 (10年間)
世界的な注目度 実際に稼働していた発電所を対象とした、世界でも先駆的な取り組み
解体作業の課題
  • 放射線による作業員の安全確保
  • 大量の解体廃棄物の処理
  • 建物の解体技術
成果と貢献
  • 解体作業を通じて、課題克服のための貴重なデータや経験が蓄積され、技術開発が進められた
  • その後の国内における原子力発電所の廃止措置に大きく貢献

未来への教訓

未来への教訓

日本の原子力発電の歴史において、実験炉であるJPDRとJPDR-IIは、未来への貴重な教訓を与えてくれました。JPDRとJPDR-IIの運転を通して、予期せぬ困難にも遭遇しましたが、その後の解体作業も含めて、多くのことを学びました。
特に、運転中に発生した応力腐食割れに関する知見は、その後の原子力発電所の建設と運転において、安全性を向上させるために大きく役立ちました。応力腐食割れとは、金属材料に力がかかった状態で、特定の環境下におかれると、割れが生じてしまう現象です。JPDRの運転経験から、この現象の発生メカニズムを解明し、対策を講じることができたのです。
JPDRは、日本の原子力発電の礎を築いただけでなく、その後の発展にも大きく貢献しました。JPDRの運転経験から得られた教訓は、より安全で信頼性の高い原子力発電所の開発へとつながり、日本のエネルギー供給を支える礎となりました。JPDRは、原子力発電の平和利用という人類共通の目標に向けて、大きな一歩を踏み出したと言えるでしょう。

項目 内容
名称 JPDR、JPDR-II
種類 実験炉
成果
  • 運転中の応力腐食割れに関する知見
  • 応力腐食割れの発生メカニズム解明
  • 応力腐食割れへの対策
貢献
  • 日本の原子力発電の礎
  • より安全で信頼性の高い原子力発電所の開発
  • 日本のエネルギー供給の基盤