北朝鮮の核開発とKEDOの役割
電力を見直したい
先生、『朝鮮半島エネルギー開発機構』って、何ですか?難しくてよくわからないんです。
電力の研究家
なるほど。『朝鮮半島エネルギー開発機構』は、簡単に言うと北朝鮮の核兵器開発をやめてもらうために作られた国際機関なんだ。北朝鮮は核兵器の材料になるものを作れる原子力発電所を持っていたんだけど、それを代わりに安全な発電所に作り変えることと引き換えに、経済的な支援をすることになったんだよ。
電力を見直したい
へえー、そうだったんですね。でも、なんで北朝鮮は核兵器開発をやめようとしたんですか?
電力の研究家
それはね、世界各国が協力して北朝鮮に経済的な圧力をかけたり、話し合いで平和的に解決するように働きかけたりしたからなんだ。核兵器はとても危険なものだから、世界中で協力して、これ以上作られないように努力しているんだよ。
朝鮮半島エネルギー開発機構とは。
「朝鮮半島エネルギー開発機構」という言葉を説明します。これは、北朝鮮が核兵器を作ろうとしているのではないかという疑いをなくすために作られた国際機関です。この機関は、北朝鮮に安全な発電所を提供し、その発電所が完成するまでの間は、代わりに使えるエネルギー源(重油など)を供給する役割を担っています。
1994年10月、北朝鮮とアメリカは、この問題を解決するために以下の合意をしました。
(1) 北朝鮮は、「核兵器を作ったり、持ったりしない」という国際的な約束を守り続けること。さらに、核兵器の材料を作ることができる工場や、軍事目的にも使いやすい発電所を閉鎖し、解体すること。
(2) アメリカは、北朝鮮が安全な発電所を作れるように、技術と資金の両面で協力すること。また、その発電所が完成するまでの間、代わりに使えるエネルギー源を供給すること。
朝鮮半島エネルギー開発機構とは
– 朝鮮半島エネルギー開発機構とは朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は、1990年代に深刻化した北朝鮮の核開発問題を、平和的な外交手段によって解決することを目指し、設立された国際機関です。1994年、アメリカ合衆国と北朝鮮の間で結ばれた「朝鮮半島エネルギー開発機構設置のための協定」に基づき、その活動が開始されました。KEDOの設立は、北朝鮮が核兵器開発を凍結し、核拡散防止条約(NPT)体制に復帰することを条件とした、国際社会による北朝鮮への働きかけの一環でした。その代わりに、北朝鮮に対しては、平和利用に限定した原子力発電計画の推進が認められ、KEDOはその計画の中核を担うことになりました。具体的には、KEDOは北朝鮮に軽水炉型原子力発電所2基を建設することを約束し、建設地の選定や設計、資材調達、建設工事などを主導しました。軽水炉は、核兵器の原料となるプルトニウムの抽出が難しいとされ、北朝鮮の核兵器開発を抑制する効果があると期待されました。また、発電所の建設が完了するまでの間、北朝鮮のエネルギー不足を補うため、KEDOは毎年50万トンの重油を北朝鮮に供給することになりました。KEDOには、日本、韓国、アメリカ合衆国が主要な出資国として参加し、その後、欧州連合(EU)やロシア、中国なども加わりました。しかし、その後も北朝鮮の核開発問題が進展を見せず、2002年に北朝鮮による核開発計画の隠蔽が発覚したことを受けて、KEDOの事業は事実上中断されることになりました。その後、2006年には、北朝鮮による核実験の実施を受け、KEDOは正式に解散することとなりました。
項目 | 内容 |
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設立の背景 | 1990年代の北朝鮮核開発問題を平和的に解決するため |
設立の根拠 | 1994年の米朝間の「朝鮮半島エネルギー開発機構設置のための協定」 |
設立の目的 | 北朝鮮の核兵器開発凍結とNPT体制への復帰を条件に、平和利用に限定した原子力発電計画を推進 |
KEDOの役割 | 北朝鮮への軽水炉型原子力発電所2基の建設 発電所完成までの間、北朝鮮への重油供給(年間50万トン) |
参加国・機関 | 日本、韓国、アメリカ合衆国、欧州連合(EU)、ロシア、中国など |
事業の中断 | 2002年:北朝鮮による核開発計画の隠蔽発覚により事実上中断 |
KEDOの解散 | 2006年:北朝鮮による核実験の実施を受け、正式に解散 |
KEDO設立の背景
1990年代初頭、北朝鮮は核兵器の開発に転用可能な黒鉛減速炉型原子炉の開発を進めていました。これは国際社会、特にアメリカ合衆国にとって大きな懸念材料となりました。北朝鮮が核兵器を保有することは、東アジア地域の安全保障を脅かし、世界的な核拡散問題に発展する可能性を孕んでいたからです。
国際社会は、北朝鮮に対して核開発計画の放棄を求めるべく、様々な外交努力を行いました。国際原子力機関(IAEA)による査察の受け入れも強く求められましたが、北朝鮮はこれを拒否し続けました。
こうした状況を打開するため、1994年、アメリカ合衆国は北朝鮮との間で「米朝枠組み合意」を締結しました。この合意に基づき、北朝鮮は核開発計画の凍結とIAEA査察の受け入れを約束する代わりに、国際社会は北朝鮮に対して軽水炉型原子炉の提供と重油供給などの経済支援を行うことを約束しました。
「米朝枠組み合意」に基づく約束を実行し、北朝鮮の核開発問題を平和的に解決するために設立されたのが、韓半島エネルギー開発機構、すなわちKEDOでした。KEDOは、日本、韓国、アメリカ合衆国が中心となり、その後、オーストラリア、ニュージーランド、欧州連合(EU)諸国も参加する国際機関へと発展しました。
時期 | 内容 | 関係機関 |
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1990年代初頭 | 北朝鮮が核兵器に転用可能な黒鉛減速炉型原子炉の開発を進める。国際社会は懸念を表明。 | 北朝鮮 |
1994年 | 米朝枠組み合意締結。北朝鮮は核開発計画の凍結とIAEA査察の受け入れを約束。国際社会は軽水炉型原子炉の提供と経済支援を約束。 | 北朝鮮、アメリカ合衆国、IAEA |
米朝枠組み合意後 | 合意に基づく約束を実行し、北朝鮮の核開発問題を平和的に解決するためにKEDO設立。 | KEDO(日本、韓国、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド、EU諸国) |
KEDOの活動内容
韓半島エネルギー開発機構、通称KEDOは、1995年に設立された国際機関です。KEDOの主な活動は、北朝鮮のエネルギー事情の改善と、核開発問題の解決を目指し、北朝鮮への軽水炉型原子力発電所の建設と、その間のエネルギー供給として重油を提供することでした。
軽水炉型原子炉は、従来の黒鉛減速炉型原子炉に比べて、核兵器の原料となるプルトニウムの生産量が少なく、核拡散防止の観点からより安全な原子炉とされています。KEDOは、北朝鮮の寧辺(ヨンビョン)に軽水炉型原子力発電所の建設を開始し、日本、韓国、アメリカ合衆国などを中心に、資金や技術を提供しました。しかし、この計画は、北朝鮮の核開発問題をめぐる国際社会との対立などにより、2006年に中断されました。KEDOの活動は、北朝鮮の核開発問題の複雑さと、国際協力の難しさを示す事例と言えるでしょう。
項目 | 内容 |
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機関名 | 韓半島エネルギー開発機構 (KEDO) |
設立年 | 1995年 |
目的 |
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活動内容 |
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軽水炉型原子炉の特徴 | 核兵器の原料となるプルトニウムの生産量が少なく、核拡散防止の観点から安全 |
建設予定地 | 北朝鮮寧辺(ヨンビョン) |
資金・技術提供 | 日本、韓国、アメリカ合衆国など |
計画中断 | 2006年 |
中断理由 | 北朝鮮の核開発問題をめぐる国際社会との対立 |
KEDOの終焉
– KEDOの終焉達成できなかった約束1994年、アメリカと北朝鮮はジュネーブ合意を締結し、北朝鮮は核開発計画の凍結と引き換えに、軽水炉2基の建設と重油供給の支援を受けることになりました。この合意に基づき、1995年に韓国、日本、アメリカを中心に設立された国際機関がKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)です。KEDOは、北朝鮮のエネルギー問題を解決し、核開発を断念させるという大きな目標を掲げ、国際社会の期待を背負っていました。しかし、KEDOの活動は困難を極めました。北朝鮮の核開発計画に関する情報開示の遅れや、計画の透明性の欠如、さらには北朝鮮によるミサイル発射実験など、両者の間には常に不信感が渦巻いていました。2002年、北朝鮮が密かにウラン濃縮プログラムを進めていたことが発覚すると、KEDOの活動は事実上停止に追い込まれます。そして2006年、北朝鮮が核実験を強行したことを受け、KEDOは正式に解散しました。KEDOの解散は、北朝鮮の核開発問題を平和的に解決するという国際社会の努力が失敗に終わったことを意味していました。KEDOの失敗は、北朝鮮の核開発問題の根深さを改めて国際社会に突きつけ、その後の北朝鮮への対応を大きく左右することになったのです。KEDOの経験は、国際社会にとって、核不拡散体制の強化と、北朝鮮への外交的働きかけの重要性を再認識させるものとなりました。
項目 | 内容 |
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合意内容 | 北朝鮮は核開発計画を凍結し、その見返りとして軽水炉2基の建設と重油供給の支援を受ける |
設立 | 1995年、ジュネーブ合意に基づき、韓国、日本、アメリカを中心にKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)設立 |
KEDOの目標 | 北朝鮮のエネルギー問題を解決し、核開発を断念させる |
KEDOの活動 | 困難を極める。北朝鮮の情報開示の遅れや透明性の欠如、ミサイル発射実験などにより不信感が蔓延 |
KEDO活動停止の要因 | 2002年、北朝鮮のウラン濃縮プログラムの秘密裏な進行が発覚 |
KEDO解散 | 2006年、北朝鮮が核実験を強行したことを受け、正式に解散 |
KEDO解散の意味 | 北朝鮮の核開発問題の平和的解決に向けた国際社会の努力が失敗に終わったことを意味する |
KEDOの教訓 | 国際社会にとって、核不拡散体制の強化と北朝鮮への外交的働きかけの重要性を再認識 |