英国の原子力開発を牽引してきたUKAEA

英国の原子力開発を牽引してきたUKAEA

電力を見直したい

先生、「UKAEA」って聞いたことあるけど、どんな組織かよくわからないんです。教えてください。

電力の研究家

「UKAEA」は、イギリスの原子力開発を進めるために作られた組織だよ。1954年に設立されて、原子力発電の基礎を築いたんだ。

電力を見直したい

へえ、昔から原子力に関わっていたんですね!今はどんなことをしている組織なの?

電力の研究家

時代によって役割が変わっていて、今は原子力発電所の廃止措置など、安全に原子力と関わるための活動をしているんだよ。

UKAEAとは。

「UKAEA」は「英国原子力公社」の略称で、イギリスの原子力発電開発を進めるために1954年に設立された国の機関です。この機関は、原子力発電の試験的な原子炉を6基建設・運転し、イギリスで原子力発電を利用するための基礎を作りました。1965年に科学技術に関する法律が改正された後、原子力以外の分野、例えば電子機器、航空宇宙、医療、コンサルティングなどの研究開発にも取り組み始めました。1971年には、核燃料部門とアイソトープ・放射線部門を分離し、その後、それぞれが「英国原子燃料公社(BNFL)」と「アマーシャム・インターナショナル社」という2つの会社になりました。1996年には、産業部門が独立して「AEAテクノロジー社」となりました。さらに、原子力発電会社である「ニュークリア・エレクトリック社」と「スコティッシュ・ニュークリア社」が合併してできた「ブリティッシュ・エナジー社」も民営化されました。ただし、マグノックス炉は民営化の対象外となり、「ME社」が設立されましたが、後に「BNFL」に吸収合併されました。その後、「BNFL」も民営化されましたが、その条件として、設備の汚染除去や廃止費用などの負債整理が求められました。そのため、2005年に「BNFL」と「UKAEA」が所有する原子力施設の法的・財務的な負債を管理する「原子力廃止措置機関(NDA)」が設立されました。

英国原子力公社設立と初期の役割

英国原子力公社設立と初期の役割

英国原子力公社(UKAEA)は、1954年に設立された英国政府の機関です。その設立は、第二次世界大戦後の電力不足の深刻化と、新たなエネルギー源としての原子力の可能性に注目が集まっていたことが背景にありました。UKAEAの主な役割は、原子力エネルギーの研究開発と、その平和利用に向けた技術開発を推進することにありました。

UKAEAは、その設立から数年で、コールダーホール、ウィンズケール、ドーントリーといった場所に、合計6基もの原子炉を建設しました。これらの原子炉は、いずれも実験炉または原型炉としての役割を担い、原子力発電の実用化に向けた貴重なデータを提供しました。具体的には、異なる種類の原子炉の設計、運転、安全性の評価などが行われ、その成果は、後のイギリスにおける商用原子力発電所の建設に大きく貢献しました。

このように、UKAEAは、その設立初期から、イギリスにおける原子力発電の開発において中心的な役割を果たし、その技術力と経験は、今日のイギリスの原子力産業の礎となっています。

設立年 設立背景 主な役割 活動内容
1954年 第二次世界大戦後の電力不足
原子力の可能性への注目
原子力エネルギーの研究開発
平和利用に向けた技術開発
コールダーホール、ウィンズケール、ドーントリーに計6基の原子炉を建設
原子炉の設計、運転、安全性の評価
イギリスにおける商用原子力発電所の建設に貢献

非原子力分野への進出と原子力産業の再編

非原子力分野への進出と原子力産業の再編

1965年の科学技術法の改正をきっかけに、イギリス原子力公社(UKAEA)は、それまでの原子力分野だけでなく、電気製品や航空宇宙、医療、コンサルティングといった原子力以外の分野の研究開発にも活動の範囲を広げていきました
さらに、組織の再編も進み、1971年には核燃料部門とアイソトープ・放射線部門がUKAEAから分離され、それぞれ英国原子燃料公社(BNFL)とアマーシャム・インターナショナル社として独立しました。
1996年には産業部門もAEAテクノロジー社として独立し、原子力発電会社もニュークリア・エレクトリック社とスコティッシュ・ニュークリア社が統合してブリティッシュ・エナジー社となり、民営化されました。
このように、UKAEAは、時代や政策の変化に応じて、非原子力分野への進出や組織の再編を行いながら、その活動を変化させていったのです

年代 UKAEAの変遷
1965年 科学技術法改正
– 原子力以外の分野(電気製品、航空宇宙、医療、コンサルティングなど)にも進出
1971年 組織再編
– 核燃料部門 → 英国原子燃料公社(BNFL)として独立
– アイソトープ・放射線部門 → アマーシャム・インターナショナル社として独立
1996年 更なる組織再編
– 産業部門 → AEAテクノロジー社として独立
– 原子力発電部門 → ニュークリア・エレクトリック社とスコティッシュ・ニュークリア社が統合し、ブリティッシュ・エナジー社として民営化

マグノックス炉の特異な運命

マグノックス炉の特異な運命

– マグノックス炉の特異な運命1980年代後半から1990年代にかけて、世界的に電力自由化の波が押し寄せ、日本でも電力市場の競争促進と効率化を目指し、原子力発電所の民営化が議論され始めました。しかし、すべての原子炉が同じ道を辿ったわけではありません。その中で、マグノックス炉は特異な運命を辿ることになったのです。マグノックス炉は、天然ウランを燃料とし、黒鉛を減速材に利用する原子炉です。初期費用が安く済むというメリットがある一方で、熱効率が低く、運転や保守に手間がかかるという側面も持ち合わせていました。このような特性から、民営化の対象となる他の原子炉とは異なる扱いを受けることになります。電力会社が保有する加圧水型軽水炉や沸騰水型軽水炉とは異なり、マグノックス炉は民営化の対象から外され、新たに設立されたME社という会社がその運営を任されることになりました。しかし、ME社はその後、イギリスの原子力発電公社であるBNFLに吸収合併されることになります。皮肉なことに、BNFL自身も民営化されることが決まっており、マグノックス炉は再びその運命を揺さぶられることになったのです。BNFLの民営化に際しては、マグノックス炉の設備の除染や廃止措置にかかる費用が大きな負債問題として浮上しました。民営化後もこれらの費用はBNFLが負担することになり、その後の経営に大きな影響を与えることになりました。このように、マグノックス炉は時代の波に乗り切れず、複雑な経緯を経てその歴史に幕を閉じることになったのです。

時期 マグノックス炉の動向 その他
1980年代後半~1990年代 電力自由化の波の中、他の原子炉とは異なる扱いを受ける。 世界的に電力自由化の波、日本では原子力発電所の民営化が議論される。
民営化の対象から外され、新たに設立されたME社が運営。 電力会社保有の加圧水型軽水炉や沸騰水型軽水炉は民営化。
ME社がイギリスの原子力発電公社BNFLに吸収合併される。
BNFLの民営化に際し、マグノックス炉の設備の除染や廃止措置にかかる費用が負債問題として浮上。 BNFLの民営化決定。
BNFLは民営化後もマグノックス炉の費用負担を強いられる。

原子力廃止措置機関の設立

原子力廃止措置機関の設立

– 原子力廃止措置機関の設立

2005年、イギリス政府は、原子力燃料会社(BNFL)の民営化に伴い発生した負債問題に対処するため、原子力廃止措置機関(NDA)を設立しました。BNFLは、長年にわたり原子力発電所の建設や運転、核燃料の製造などを行ってきた企業でしたが、その過程で発生した放射性廃棄物の処理や老朽化した施設の解体などに莫大な費用がかかることが判明しました。

NDAは、BNFLおよび英国原子力公社(UKAEA)が保有する原子力施設の法的、財務的な債務管理を主な業務としています。具体的には、放射性廃棄物の処理や処分、老朽化した原子力施設の解体、およびこれらの活動に伴う環境修復など、広範囲な業務を担っています。NDAは、これらの業務を安全かつ効率的に遂行するため、専門的な知識や技術を持つ企業と契約を結び、その活動を監督しています。

UKAEAは、1954年の設立以来、イギリスの原子力開発を常にリードしてきました。当初は原子力発電所の開発や運転を担っていましたが、時代とともにその役割を変化させてきました。現在では、NDAと協力しながら、原子力の安全かつ平和的な利用に向けて重要な役割を担っています。具体的には、NDAの活動に対する技術的な助言や、原子力関連の研究開発、人材育成などを行っています。

機関名 設立年 設立理由 主な業務
原子力廃止措置機関(NDA) 2005年 原子力燃料会社(BNFL)民営化に伴う負債問題への対処
  • 放射性廃棄物の処理・処分
  • 老朽化原子力施設の解体
  • 環境修復
英国原子力公社(UKAEA) 1954年 イギリスの原子力開発をリード
  • NDAへの技術的助言
  • 原子力関連の研究開発
  • 人材育成